1月、2月と国内外で大きな大会がありました。僕のブログを読んでくださっている方々ではご存知の方が多いとは思いますが、改めてきちんとご報告させていただきます。まずはパリ予選編からです。
1月にバンコクにて開かれたアジア・オセアニアゾーンチャンピオンシップ。こちらはパリパラリンピックの予選となっていました。優勝チームが出場権獲得、2位が最終予選へ進むことができるという大事な大会でした。 結果は準決勝でイランに敗退。パリパラリンピックへの旅はここで終わることとなりました。切り替えて臨んだ3位決定戦も韓国に負けて4位という結果で大会を終えました。 僕自身、車いすバスケを始めてからパラリンピックに男子チームが出場できなかったのは今回が初めて。
諸先輩方が繋いでくださったバトンを繋ぐことができなかった。応援してくれる皆さまに結果でお礼ができなかった。何より、自分が日本代表チームを勝利に導くことができなかった。悔しかった。 スポーツは、勝負の世界は、白黒がはっきりと明確に出ます。その残酷さのようなものを改めて痛感させられました。
ただ言えるのは、
「今の自分、そしてチームのベストは尽くした。やってきたことを思いっきりコートで表現しようとした。決して最後まで諦めることなく、打開策を常に探しながら自分もチームも鼓舞をし続けプレーした。でも『発揮』ができなかった。」
ということだと思います。 発揮ってどうしたらできるのか?それをまた考えていく1年が新たにスタートです。
10月、左肩の肩甲下筋部分断裂という大きな怪我をしました。よくここまで体を戻せたな、と思える自分もいます。リハビリとトレーニング、やれる準備は全てやり尽くしたと思えるのは嬉しいことです。 それは、やり尽くしたのか?という疑問を残してしまうことを経験しているから。
様々なメディカルスタッフの皆さんを信頼しながら、治療とケア、リハビリと患部外トレーニングを診てもらい、ご尽力いただきながら過ごしてきました。 ほとんど運動的なことは何もできなかった11月を経て、少しずつ体を動かした12月。ちゃんとトレーニングができるようになってきたのは年末でした。とは言えできない動作もあり、怪我が悪化するリスクと恐怖と常に隣り合わせのような中試合をするのは正直、毎試合覚悟が必要でした。でも悪化することなく、連戦を過ごしながらも左肩は回復傾向にあったのでそこはホッとしました。
でもやっぱり筋持久力は落ちていました。1試合もたない、だけでなく、練習や試合が重なっていくと回復が追い付かず、体に疲労がどんどん溜まっていくのを感じていました。休んでいたという当たり前の事実を突きつけられました。思うように動かせないもどかしさがずっとありました。
今アカツキ女子がOQTを戦っています。めっちゃ応援してるんです!でも知らないうちに、どうか勝ってくれ!どうか俺たちみたいにならないでくれ!そう願いながら見ている自分がいることに気付きました。
「パリ、行きたかったな。」
心を切り替えて次に向かうために必要なステップを踏んでいるつもりでした。でもやはりこの思いは心の奥に残っているみたいです。でも暗くなっているわけではありません。 なぜならやりきった、「今の自分」がやれることはやった。そう胸を張っていられる準備ができたから。とてつもない後悔に襲われたリオパラリンピックの同じ轍は踏んでいない。それは間違いなく自分の中でポジティブなことです!
日本代表という場所は常に勝利を目指し続ける場所。
「負けに不思議の負けなし。」
色々と落ち着いたら振り返って改善をさせていきたいと思います!
長々と書いてしまいましたが、配信で全力応援してくださった皆さま、そして現地にまで来て全力応援をしてくださった皆さま、本当に本当にありがとうございました。心からの応援がエネルギーになる。戦う勇気をくれる。そう感じました。 感謝しかありません。本当にありがとうございました!!!
次回は天皇杯編です。