本日はご報告をさせていただきたいことがあります。

先ほどランディルよりリリースがあった件についてです。https://rsvlahndill.de/2022/05/10/letzter-heimauftritt-von-kozai-und-mosler/

ランディルから長期契約の提示をいただきましたが、色々と考えた末、来シーズンはランディルと契約を結ばず、帰国をすることを決めました 。帰国後は日本の所属チームであるNO EXCUSE で活動します。

途中東京パラのために帰国した2 年間はあったものの、2013 年から 10 年近く海外でプロとしてプレイをしてきた中で、私にとって非常に大きな決断となりました。

プロのアスリートとして、海外のトップリーグでまだやれる、パラ後自分と向き合い、そう感じているのも事実です。
ですが同時に、オリパラのレガシーをきちんと残していくために、今こそまだ現役のアスリートであるうちからでも、次の世代、そのまた次の世代に繋げていけるような活動をしたい!という思いが非常に強くなったのです。

障害のある子どもたちがスポーツに向き合うことのできる場面は、未だ多くはありません。私は本当にさまざまな偶然の連続によりとても幸運な機会を手に入れることができたのだと強く感じています。
だとしたら、今度は自分が、未来ある次世代の子どもたちにその機会を提供していく必要があるのではないか、偶然ではなく、誰もがさまざまな機会や選択肢のある環境を作れる様な活動ができないか、そう考えました 。

そこには自分が辿ってきた道筋が大きく関係しています。

私は12歳で車いすバスケットボールと出合い、様々な素晴らしい方々と出会い、たくさん経験を積ませていただきました。特に、東京パラリンピックでは監督だった及川晋平さんとの出会いは人生に於ける大きなきかっけとなりました。及川さんや車いすバスケが無ければ留学も、自分がドイツでプロとして活動することも考えることもなかったと思います。

高校卒業後、心地よい日本から勇気をもって飛び出してみると、それまでの自分自身よりも世界の見え方や物事の捉え方、考え方が一気に広がった感覚を得ました。
車いすバスケからたくさんチャレンジや課題をもらい、文武両道を必要とするアメリカのインカレでの経験を通じて、アスリートとしても人間としても成長しながら歩んで来られたのだと思っています。
ただこれは、誰にでも同じ様に起こり得たものではなく、私が非常に恵まれていたのだということに気づく様になりました。

今度は自分が誰かのきっかけとなりたい、世界が広がるような体験を多くの子どもたちに感じてほしい、 そんな活動がしたい、そのために帰国しよう、と決断に至りました。
そうしてまたバトンをつなぐことは、アスリートとしてだけでなく、こんなにも多くのことを学ばせてくれた車いすバスケへの 恩返しとなるはずだと考えました。

今年は10 月にはアジアパラ、 11 月には世界選手権と今年は大きな大会が続くため、まず年内はとにかく代表に選ばれ、また日本代表として試合ができるように集中をしてまいります。2024年パリパラリンピックへの挑戦も引き続き、継続して挑戦をしていきます。
アスリートとしての自分を磨いていくことをしながらも、次の世代に繋げられるような取り組みを、同時並行でしていきたいと考えています。
これは私自身、新たなチャレンジです。またその取り組みを具現化する上では、みなさまと共有をさせていただけたらと考えています。

今シーズンも、残すところドイツリーグ・プレイオフ決勝ラウンドのみとなりました 。チャンピオンズカップは 4 位という悔しい結果に終わってしまいました。 ドイツリーグ の タイトルは 獲 れるよう、できる限りの準備を最後までやり続け残りの 2 週間も今までと同様に積み重ねていき、胸を張って帰国ができるよう頑張ってまいります。

いつも応援してくださる皆さまと残りの2 週間を一緒に戦いたいと 思っています。

プレイオフの勝者が決まる、最後の最後のブザーが鳴るまでぜひ、共に挑んでいただけたら幸いです。

 

香西 宏昭